14前回、渋沢栄一が敬慕する松平定信が江戸に浴恩園、大塚六園、深川海荘という3ヶ所の隠 居の庭を築庭し、浴恩園を拠点として、それぞれが役割を補完しあうように作庭された大塚六 園、深川海荘をひも解いた。今回は、定信の隠居生活の拠点となった築地浴恩園がオリンピッ ク終了後発掘調査に入る。東京都の恩人の庭園・浴恩園は甦るのか、ひも解いていく。
東京都の恩人の庭園は甦る?
2021年9月5日、1年遅れた東京五輪・パラリ ンピックが終了した。いよいよ五輪後に発掘調査 が始まる。「江戸時代の「幻の庭」が眠ってい る。寛政の改革で知られる松平定信が屋敷に築 いた「浴恩園」だ。(中略)都などは2020年東 京五輪・パラリンピック後の再開発に伴い初の発 掘調査を検討している。庭園の再発見と実態解 明に期待が高まっている」と日本経済新聞が 2019年6月5日に報じた注目の「浴恩園」は「東 京都の恩人」の庭でもあり、その発掘調査へ期 待が膨らむ。(図1,2参照)
渋沢が企画した「東京都の恩人」とは
いきなり「東京都の恩人」という聞きなれない言 葉が出てきたが、本誌127号の連載で渋沢栄一が なぜ松平定信(楽翁)を敬慕するに至ったのかをひ も解いた。図3は渋沢栄一が企画した『東京都の 恩人・松平定信公』財団法人楽翁公遺徳顕彰 会発行の小冊子で、第11代徳川家斉の時代、寛