明治神宮1920+100
2020年に鎮座百年を迎える明治神宮は、日本の近代ランドスケープ発祥の地とも呼ばれる場所です。これから4回の連載の中で、その所以とともに、明治神宮のランドスケープ100年の歩みを振り返ることで、現代のランドスケープデザインに求められる視座を改めて確認していきましょう。
明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りし、大正9年(1920)に創建された神社です。日本が近代国家として急激な発展を遂げた「明治」を記念する空間として、国家プロジェクトと呼ぶにふさわしい規模で取り組まれました。その時代特有の空気感を考えると、どれほど多くの国民がこの事業に関心を持ち実際に関わったかは私たちの想像をはるかに超えます。
明治神宮の境内は内苑と外苑に分かれており、72haにおよぶ内苑空間には、全国から集まった10万本の献木が約11万人の全国青年団の勤労奉仕によって植樹され、深い森に覆われた「聖」の空間として整備されました。一方で外苑は、民間有志からなる明治神宮奉賛会が中心となり、国民からの寄付と全国青年団の勤労奉仕によって絵画館や競技場、野球場などを中心とする「俗」の空間として整備されました。内苑と外苑は、ケヤキ並木の表参道と現在首都高速道路が走る裏参道とで結ばれており、町一つがすっぽりと入る都市のランドスケープを形成しています。さらには、東京の都市の骨格としての緑のレガシーとしても主要な役割を担っています。
森づくりの設計図「林苑計画書」
明治神宮のランドスケープで最も注目に値する のは、人の手で荒地に天然林を作り上げた長期 的な森づくりの計画でしょう。その植栽計画には、 日比谷公園の設計者としても知られる本多静六 をはじめ、本郷高徳、上原敬二など、造園学の 黎明期を支えた研究者達が関わりました。彼らが ドイツから導入した当時最先端の生態学的知識 や森林美学の考え方、そして日本の伝統的造園 技術が総動員され、100年先を見据えた天然林 相の実現が目指されました。その計画・設計と管 理方針の詳細は、初代の林苑主幹を務めた本 郷自身が「明治神宮御境内林苑計画」(以下、 林苑計画書)としてまとめています。
〔境内の林苑が如何なる構想によりて計画さ れ、又如何に実施されしかを明らかにして後世に 遺し、且つ将来の取扱に誤なからしめんための 報告書とも指針とも称すべきもの〕と本郷自身が記 しているように、この林苑計画書には、彼らが目指 した森の姿と、その具体的な設計方法、そして 将来の管理方法の全てがまとめられています。
現在では、まるで全体が原生林に覆われてい るかのような印象を受ける明治神宮ですが、「神 社に相応しき荘厳なる林苑」を作り上げるという 目標のもと、各遷移段階においても神社としての
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