庭園都市江戸・東京 渋沢栄一物語「3人の出会いと旧古河庭園・古河家にまつわる謎」
Aug 25, 2020
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文/椎名和美
8 前回、都立文化財庭園の一つである旧古河庭園の誕生前史として 陸奥邸をひも解いたが、今回は、渋沢、陸奥、古河の出会いと 朋友への過程と、この庭園の誕生に至るいくつかの謎をひも解く。
旧古河庭園にまつわるの謎とは
これまでの旧古河庭園に関係する著作物では 読み解かれないままのいくつかの謎がある。その① 「なぜ陸奥宗光は次男潤吉を古河市兵衛の養子 とし、市兵衛はそれを望んだのか」そして、その② として「古河家の本邸として西ヶ原の陸奥邸跡の 土地は何故、選ばれたのか」さらに、その③として 「建物設計はジョサイア・コンドル、作庭家として 7 代目植治がどのように選ばれたのか」という解か れていない謎がある。この謎を解くためには、渋 沢、古河、陸奥の3 人の関係をひも解くことから 始めねばならない。その前に、古河市兵衛と陸奥 宗光の出自についてひも解いていこう。
古河市兵衛の出自:養子として
古河市兵衛は、天保3年(1832)3月16日に京 都の岡崎村の造り酒屋の次男として生まれた。幼 名は巳之助。8歳の時、巳之助は京都の縫物師 のもとに丁稚奉公に出される。10歳の時、伯父 の木村理助のいる奥州へ旅立つ、盛岡で鴻池の お店の支配人に見込まれて生糸の買い付けの仕 事をするが、鴻池のお店が閉店したため伯父の元 へ戻つたところ、安政4年に伯父の木村理助から 「小野組の番頭
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