9 庭園都市江戸・東京 渋沢栄一物語「旧古河庭園の謎:植治の東京進出
Oct 22, 2020
1 minute
文/椎名和美
京都盆地から関東平野へ
大正7年、通称植治こと七代目小川治兵衛は 活動拠点であった京都から東京へ進出した。この 時、同時に3つの作庭を依頼された。西園寺公 望の駿河台本邸の庭、村井吉兵衛永田町本邸 の庭、古河虎之助の古河家本邸西ヶ原の庭(旧 古河庭園)である(表1参照)。植治が東京で同 時期に作庭した庭を比較して味わってみたいが、 残念ながらこの3つの庭で現存するのは旧古河 庭園のみである。
植治の活動展開と旧古河庭園
作庭家にも時代とともに、その作風の変化や、 伸びしろがあり、その庭がいつ頃作庭されたのか 興味が湧くところである。表1 は植治が作庭した 無隣庵の初期から晩年までを縦軸に時代と文化 潮流の流れ、横軸に作庭の場所、施主等をまと めてみた。この整理の中で旧古河庭園をひも解く 上で、やや強引であるが植治の活動(植治流の 確立)を表1のように3期に分けてみた。
①模索期:無隣庵、對龍山荘時代
②確立期:南禅寺別荘群庭園の時代
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