写真/一般社団法人森林風致研究所(特記以外)
美しい森林に関する研究者である筆者は、ある日自分の山を手に入れた。住宅地に近接し、都市計画における「風致地区」という属性が付けられている「緑」にも関わらず、その山林の驚くほどの荒れた姿に当初は驚き、挑み、心折れて、また挑みを繰り返した8年間。「人は風景を『眺める』というありふれた行為を通じて『住まう』環境を追求する…」5)という言葉に出会い、容易ではない山との戦いを覚悟した都市計画上の「放置されたかつての美しい緑」についての現状を紹介する。
1.私、山を買いました
始まりは自宅兼職場の建設
2013年に竣工された私たちの職場の建物は建物内の床は全てヒノキとアカマツ無垢材であるが、これらは全て筆者らと仲間たちで山林の林木を伐採、製材屋に持ち込んで製材、乾燥、加工したものである(写真2)。そして全ての発端は、この山林の木材利用の経験から始まった。私たちにとっての山はただの山ではなく、所有して利用すれば床材まで生み出すばかりではなく、庭木や季節毎の山菜、果ては林内にいることだけでも楽しい存在となった。季節の折々、草刈りなどの手入れを熱心に行ったが、この山は職場から50kmほども隔たっていてもっと近くで利用できる「自分の」手頃な小さな山林が欲しいと願うようになった。
小さな山を買う
2014年3月の末、チャンスは程なくやってきた。知人を通じて「山林を買わないか」という話が舞い込んできたのである。しかも職場から徒歩15分、0.64haの山林であるとのこと。すぐに行ってみると、その山は住宅街に近接する斜面林であった。今まで馴染みのない広葉樹林。春のうららかな日差しの中で、まだ雪も解けていない林縁にはミツバが芽吹き、フキの薹が立ち始め、エナガやシジュウカラなどの小鳥が囀り、それまで見てきた針葉樹の施業林とは全く異なる世界が目の前に展開していた。しかし、何よりも購入の決め手になったのは「土地境界」と「道」であった。前の持ち主によって土地境界が測量によって明瞭になっており、特筆すべきことに山の中にはコンクリートの立派な「道」が敷設されていた(注1)。更にその山の一帯は長野県松本市の「城山風致地区」に指定されており、手入れをし整備を継続することで自分達の住環境の向上にも多少なりと寄与できるのではと考えた。あとでこの考えが非常に安易だった事を思い知るわけだが、1ヶ月後には、その山は筆者の所有となり、「風致の森」と名付けられ、社有林として手入れを行うことになった。うろ覚えだが自動車1台分程度の代金を支払ったかと思う。
小さくとも手強い放置広葉樹林
2014年の5月から、自分の山となった山林に毎日通ってミツバを摘んだりノビルを採ったりして喜んで暮らしていたのだが、1日1日と緑が濃くなってくるにつれ、山が徐々にその本性を現してきた。最初の洗礼は春の雪に埋れてよく見えていなかった折り重なった夥しい倒木や立ち枯れ木だった。前の持ち主に問い合わせたところ、40年以上は放置されていた広葉樹林であることがわかった。そのため樹木の密度が高く、巨大な径の倒木に倒木が重なり合い、近づくのも危険な状態だった。次が大量のフジ蔓であった。多くの樹木、特に樹高が高いものほどご丁寧にも1本の樹木に何本もの太いツルが巻き着き、木の幹に食いこんで形も元の姿をとどめずクネクネと曲がり、樹木の樹冠は天辺まで上り詰めたフジの葉に取って代わられ、瀕死の状態だった。足場の悪い斜面でチェンソーでしか切断できない太いフジ蔓をひたすら除去した。夏になり、いよいよ緑は濃く、林内は当初は全く想定しないほど暗く鬱蒼としてきた。フジばかりではなくノイバラ、ヤマガシュウなどの藪が林内外を覆い(写真3)、風通しが悪くなって藪蚊の大群が人間を襲ってくるわ、暑さで体力を蝕まれるわで、3週間ほど山に行かなかった間に今度はアレチウリが道や林縁を覆い尽くしていた。