LANDSCAPE DESIGN ランドスケープデザイン

人口・経済縮小時代のランドスケープ: イタリア・トリノの経験から Roles of landscape planning in the post-industrial shrinking city : Reflections from Turin, Italy

構成:トリノ工科大学・東京大学UNI-NUA プロジェクトチーム クラウディア・カッサテッラ

写真提供:トリノ工科大学・東京大学UNI-NUA プロジェクトチーム

はじめに

 日本の47 県庁所在地のすべてが、これからの30 年間(2010-2040)で人口減少に直面すると予測されている。最も急速な青森市 では29%、続く秋田市も25% 減少すると見込まれている。こうした都 市においては、移住促進による人口減少の緩和や、市街地のコンパク ト化を通じた人口密度の維持などの政策が目下進められている。一方で 世界に目を転じてみると、政治体制や産業構造の変化、戦争の経験な ど様々な理由により、既に急激な人口減少に直面した都市は少なくな い。果たしてこれらの都市は、どのような道をたどったのだろうか。

筆者らは2017 年度から2018 年度にかけて、トリノ工科大学と研 究交流を行ってきた。トリノは、イタリア第四の都市でありながら、1970 年からの約30 年間で27% 減という急激な人口減少を経験した。とこ ろが1990 年代以降、脱工業化を目指した政策を次々に展開し、2006 年には冬季オリンピックを開催するなど、「トリノの奇跡」(脱工業化都 市研究会 2017)と称される変貌を遂げ、見事再生した。

特に一連の都市再生にあたっては、産業跡地に整備されたオープン スペースが重要な役割を果たしている。本小特集では、官によるイニシ アチブや官と民との連携により様々な形で産業跡地に生み出された オープンスペースの事例を追いながら、トリノの経験から日本が何を学べ るのか考えてみたい

1. 人口・経済の縮小に対するトリノの戦略

 アルプスの麓にあるトリノは、1861 年から4 年間という短い期間だ が、イタリア最初の首都だった歴史を持つ。アルプス周辺のフランス、 スイス、そしてイタリアを統治していたサヴォイア家の支配にあったため、 それらの国々の影響を強く受けた。バロックやアールヌーヴォーの建築に よる旧市街地や、1997 年に世界遺産に登録された「サヴォイア王家 の王宮群」などにより、その街並みは特徴づけられる。

 イタリアで産業革命がおこった19 世紀後半以降、トリノの歩みはい つもフィアット社の盛衰と共にあった。1889 年に「トリノのイタリア自動 車製造所」(FIAT: Fabbrica Italiana Automobili Torino) の頭文字 をとって名付けられたフィアットが設立され、トリノはイタリア北部の工業 都市として大いに繁栄した。最盛期には「フィアットによいことはトリノに よく、トリノによいことはフィアットによい」と、誰しもが考えていたという (矢作2014)

しかし1970 年代以降、オイルショックや国際競争などによってフィアッ トは経営不振に陥った。関連工場の閉鎖や約8 万人の解雇は、工業 の衰退にとどまらず、フィアットと蜜月関係にあったトリノ市もまた衰退期 を迎える。1970 年から2001 年にかけて、トリノは119 万人から87 万人まで急激な人口減少に転じたのである。この30 年間でトリノが経 験した27%もの人口減少は、日本の大都市がまだ経験したことのない ものである。そして、工業が衰退したトリノは大量のブラウンフィールドを 抱えることになった。特に産業施設が多数立地していた鉄道軸沿いで は、一千万㎡にも及ぶブラウンフィールドが発生した。

 その渦中、1993 年にトリノ工科大学教授であったバレンティーノ・カ サテラーニ氏が都市戦略ビジョンを掲げてトリノ市長となり、次々に改革 を進めていくことになる。特に重要なものは、1995 年に発表した「都 市総合マスタープラン」(Piano Regolatore Generale)と、この計画 に基づく中心部の都市再生事業「スピナ・セントラル」(Spina Centrale)である。スピナは「脊椎」を意味し、トリノを南北に走る鉄 道軸を指している。長年、この鉄道軌道が市内を東西に二分している ことが問題となっている中、この鉄道軸沿いに大量のブラウンフィールド が発生した。そこで再生にあたり鉄道軌道の地下化が図られ、上部は 車道・自転車道・歩道の整備に合わせて、スピナ1からスピナ4までの 都市の拠点事業が実施された(図1)。産業跡地が住宅やオフィス、 商業施設に転換したのである。また「スピナ・セントラル」と同時期に、 1994 年にランドスケープに関する計画として「トリノ水の都市計画」 (Torino Città d'Acque)が策定された(図2)。これは、ポー川、ドー ラ川、サンゴネ川、ストゥラ川という4 つの川沿いの計70km、面積約 1,700ha のオープンスペースの再自然化とネットワーク化を目指したも のである。

 こうした官主導の取組みが「トリノの奇跡」をもたらす中心的な役割 を果たした。一方で、地区単位のまちづくりに長年関わりながら、必要 なものやサービスを提供する事も当然重要である。そしてトリノ市では、 民間団体による地域内の施設跡地を活用した様々な取組みが、地域 生活を豊かにすることに貢献している (小篠・小松2018)。言い換え ると、面的に広がる官主導の取組みと、民間団体による主体的な拠点 づくりによって産業跡地の空間を使いこなした結果として、トリノの現在 があると言える。

以降では、市が主導した「スピナ・セントラル」や「トリノ水の都市 計画」によって、産業跡地に生みだされたオープンスペースの事例を紹 介しながら、それがどのように都市の再生に繋がったのか具体的にみて いこう。加えて、そのような大規模事業とは別の流れとして、民間団体 が独自に産業跡地を活用して始めた草の根的な活動についても紹介する。

2. 産業跡地のオープンスペースへの転換の事例

Case 1: Lingotto /リンゴット

 1970 年代の産業構造の転換以降、使われなくなった工場や倉庫を コンバージョン(用途転換)し、まちづくりの起爆剤に活用する取組み が、全国各地で盛んである。その魅力の1つは、細々した都市空間に はあまりない規模感を持つ工場が、新たに都市生活の場となる点だろう。 トリノにおいては、その後の都市再生の方向性を決定づける象徴的な 工場のコンバージョンが行われた。それは、フィアットの基幹工場であっ たリンゴット工場の再生である。

リンゴット工場は1930 年に完成し、総床面積24.6ha、端から端ま で500m 以上ある。この工場の最大の特徴は、一階から屋内スロープ を上っていくごとに、自動車が組み上がっていく生産のための空間構成 にあり、コルビジェに「新たな機械化時代の先駆的な計画」と称された (Antonio 2011)。しかし、フィアットの生産機能縮小に伴い、1982 年に工場は閉鎖された。生産効率を追い求めたこの巨大建築の閉鎖 は、「フォーディズムの負の遺産」と揶揄されてしまう(矢作2014)。

 しかしその後、再生計画が進められる。そのデザインは、イタリアを代 表する建築家レンゾ・ピアノによるものであり、新たにショッピングセン ター、ホテル、会議場、映画館、トリノ工科大学の講義室などの複合 施設として蘇った。1989 年にオープンし、現在は市民や大学生、観 光客の集う、トリノの一大拠点となっている。またオープン後も継続的 に機能を見直しており、例えば2002 年にはミュージアムを新設している。

 工場らしさを引き継ぐ、特徴的な空間である屋上にある幅24m の試 走コースは、現在は一般客が自由にアクセス可能な広大なオープンス ペースとなっている(写真B)。そこからは、中低層の建物主体的なトリ ノの街を一望することができる。自動車用の屋内スロープも保存され、こ の建築を特徴づけている(写真C)。また、内部空間の大架構は、ショッ ピングセンターや大学の研究棟、ホテルなど様々な機能が面することで、 多様な属性の人々が行き交う場となっている(写真D)。

また、リンゴットの再生以降、周辺の地域でも徐々に新しいプロジェク トが動き出している。代表的なものに、線路を挟んで西側に作られたオ リンピックの選手村と、リンゴットのすぐ北側にできた高品質なイタリア食 材と料理を提供する食の複合施設イータリー(Eataly)がある。2006 年の冬季トリノオリンピックの選手村は、リンゴットから東部に伸びる橋に より繋っている(写真E)。現在では、集合住宅にコンバージョンされ た。また、イータリーは、現在では日本でも丸の内や日本橋に店舗を構 えるなど世界に展開する企業であるが、元々はリンゴットの北側にあった ベルモットというリキュールの工場跡地に2007 年に開店したのが始ま りである。そして現在でもここに本店がある(写真F)。 このように、リンゴット工場の再生を皮切りに、地区全体が大きく変貌 を遂げたといえるだろう。

カサテラーニ元市長は、このリンゴットを「市と企業双方が、考え方を 転換する象徴」と捉えた(Colombino & Vanolo 2016)。だからこそ、 その後「スピナ・セントラル」において、工業化時代の産業跡地を活 用し、官と民が連携をはかりながら都市再生に取組むという方向性が引 き継がれたのだろう

Case 2: Parco Dora /ドーラ公園

ドーラ公園は中心市街地から北西に4km ほどのドーラ川沿いに 2011 年に開園した約46ha の大規模な公園である(写真Ā)。もとも とは鉄鋼業の工場やタイヤ工場などが立地しており、ドーラ川は部分的 に暗渠化されていた(写真G)。ドーラ公園は先述した4つの「スピナ・ セントラル」の中でスピナ3に位置する。全事業の中でも最も重要なオー プンスペースと位置付けられ、スピナ3 の全敷地約85ha の半分以上 の面積を占める。

 ドーラ公園は、ヴィタリ地区(Vitali)、ミシュラン地区(Michelin)、 ヴァルドッコ地区(Valdocco)、イグネスト地区(Ingest)、モルタラ地 区(Mortara)の5 地区に分かれている(図4)。これらの地区名は、 元々この地にあった工場の企業の名前をとったものである。公園のデザ インは、ドイツのエムシャーパークの設計でも知られるピーター・ラッツの チームによるものであり、エムシャーパークと同様、工場の躯体の一部 がそのままデザインに活用された。元々あった製鉄所の工場の躯体を残 し、多目的なイベントスペースに生まれ変わったヴィタリ地区は、イベント 時には多くの人で賑わい、平日の夕方も、大屋根の下にはバスケット、 スケートボード、バイク、ダンスなど思い思いに体を動かす近隣の子ども たちが集まる(写真H)。ミシュラン地区の川沿いは、普段は広々とした 草原で誰もが入れるが、洪水時には川から水が入り込み、調整池とし て機能する(写真I)。また、その傍らには工業化時代のタービンの冷 却システムの塔がそのまま地域のシンボルとして残されている。イタリア はいかなる時も歴史を重んじる国である。ランドスケープの分野でも、デ ザインを通じてその土地の履歴を表現することで、歴史を後世に伝える ことが、美しい空間を作ることと同じくらい重視されている。

 また、ドーラ公園は、イタリアで最も初期に開発権取引が採用された 事例の一つである。これは、民間ディベロッパーが法定基準よりも多く の公園用地やその他の都市施設用地を提供する代わりに、公共が民間 へ容積率の緩和や税の減免を行うという事業手法である。これによりトリ ノ市は財源を支出することなく公園用地やその他の都市施設用地を確 保することができた。実際にドーラ公園の周辺を歩いてみると、トリノの 他の地域の建物よりも高い集合住宅が林立していることがわかる(写真 J)。一部の建物は、2006 年の冬季トリノオリンピックのメディア用の施 設としても使われ、その後集合住宅にコンバージョンされた。なお、公園 の整備のためには、トリノ市、ピエモンテ州、及びイタリア統一150 周 年記念の資金、合わせて約7000 万ユーロが用いられている。

それぞれの企業が公園用地を拠出する際、川沿いを中心に土地をまと めることで、約46haという大規模な新しい公園の整備が実現したことも 特徴である。ドーラ公園は「トリノ水の都市計画」において、市内の 70km の川沿いの連続的なオープンスペースの一部として位置づけられ ている。また、ドーラ公園の建設に合わせて、ドーラ川の開渠化も進め られ、再開発によって長らく蓋をされていたドーラ川が再び地上に姿をあ らわした。そして公園用地を川沿いに集め、オープンスペースの質を向上 させたことは、都市全体のグリーンインフラと生態系ネットワークにも寄与 している

Case 3: Parco Colonnetti /コロネッティ公園

 1939 年からフィアット本社工場が立地していたミラフィオーリ地区は、 とりわけフィアットの影響を受けてきたエリアと言える。トリノの南端に位置 するこのエリアに、100haをほこる郊外型大規模工場と、周辺には労 働者のための無数の住居が整備された。しかしフィアットの縮小と共に、 ミラフィオーリは一時荒廃の道をたどることになる。現在のミラフィオーリ は、3 人に1 人は高齢者という、市内で最も高齢化が進むエリアとなっ た(トリノ市2018)

そのようなミラフィオーリだが、アルプスから豊富な水量のサンゴネ川が 流れ込み、野生動物が棲息するなど、自然資源に恵まれている一面を 持つ。サンゴネ川流域はフィアットとその関連企業の工場跡と、空き室 が目立つ集合住宅により荒廃していたものの、「トリノ水の都市計画」に 基づく取組みにより、河川沿いのオープンスペースのネットワーク化が着 実に進行した。その代表例が、コロネッティ公園(Parco Colonetti) で ある(写真K)。

コロネッティ公園の区域は、工場の撤退後、既に鳥や小型哺乳類の 定着が進みつつあった。しかし依然として、廃墟となった工場、不法な 施設設置や耕作活動が行われていた。そこで約46haもの広大なエリ アをまずはきれいにして、それから再自然化するというコンセプトが掲げら れた。生き物の隠れ場所や繁殖場所、採餌場所となる牧草地や高密な 樹林地まで幅広い自然環境が設けることとなった。更に近接するサンゴ ネ川とのエコロジカル・コリドーも設け、生き物が行き来できる空間整備 を実現している。実際に訪れた際にも、至る所でアナウサギ、ハイイロ リス、シジュウカコロネッティ公園で見かけたアナウサギ、ハイイロリス、シジュウカラ(写真L) ラといった小動物を発見することが出来た(写真 L)。こ の公園およびその周辺地区の再整備は、1995 年にピエモンテ州の都 市再生プログラムにより承認されたものである。このプログラムは、市と 民間企業が共同で実施することを資金援助の条件としていたため、多 様なステークホルダーが関わっている。各主体の連携により、コロネッ ティ公園では周辺住宅地と公園に連続したパスが設けられ、隣接する 住宅地では緑豊かな中での暮らしが実現している(写真M)

近年、日本の縮小都市では、空閑地を人間の利用を前提として再生 する方法が主に検討されている。しかしさらに人口減少が進むと、より 粗放的な空閑地のあり方が検討されるようになるだろう。コロネッティ公 園は自ずから回復した自然を活かしており、まさにそのような粗放的な跡 地再生の一例といえるだろう

Case 4: Ortoalto /オルトアルト

 2000 年以降、都市内の農地ではないオープンスペースで農業を行 うゼロ・エーカー・ファーミング(Zero Acreage Farming. 通称、 Zfarming)と呼ばれる活動がヨーロッパ各国で行われている。トリノ市 内では産業跡地を活用して、このゼロ・エーカー・ファーミングの活動が 行われており、それが同時に衰退地区の再生の一つの手段となっている。

トリノ市北西部に位置する元工場の屋上に2016 年に生まれた農園 「オルトアルト・レ・フォンデリエ・オザナム」(Ortoalto Le Fonderie Ozanam. 以降、オルトアルトと表記)はまさにその事例の一つである (写真N・O)。ここは、元々鋳造所として1930 年代終わりころまで使 われていた工場であり、1960 年代に入ると学生や労働者のための病 院に再利用され、1980 年代にトリノ市の所有となった。またこの元工 場が立地する地域には、工場で働く(あるいは働いていた)労働者が 多く暮らす住宅地が建ち並ぶ。

 農園を設置したのは、非営利団体・オルティアルティ(OrtiAlti)で ある。 オルティアルティは、近隣のコミュニティを巻き込みながら草の根 的な農園づくりを展開しており、オルトアルトもその活動の一つである。 屋上農園の広さは150㎡程度であり、養蜂も実施されている。また、 工場の内部は非営利団体が営業するレストランとしてリノベーションさ れ、屋上で作られた野菜や蜂蜜を食べられる(写真P)。 私たちが訪れた時もレストランは近隣から来たと思われる地元の客で賑 わっており、小さいながら新しいコミュニティ・ビジネスを育んでいるように 感じた。なお、現在のオルティアルティはEU の資金に基づく 「proGlreg」という自然を活用した都市再生事業と提携し、さらに活動 を広げている。

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