【ゲストコメンテーター】
大倉孝司氏(技術監理部基盤整備課景観・環境担当課長)─工藤理隆氏(技術監理部企画課)阿部泰浩氏(技術監理部設計課長)─山口友輔氏(技術監理部基盤整備課)山下拓也氏(ストック事業推進部事業第1課担当課長)
(聞き手・文責=編集部)
団地のオープンスペースは地域のもの
――はじめに建替えに至った経緯をお聞かせください。
露木拓哉氏(以下、露木。敬称略) 千里ニュータウンは昭和37年(1962)にまちびらきした日本初の大規模ニュータウンであり、1962年から1970年の高度経済成長期にわずか8年間で建設されました。交通、公園緑地などのインフラについても計画的に整備されています。1970年には、千里ニュータウンの隣接地である、現在の万博記念公園にて大阪万博が開催され、千里の名は一躍有名になったと聞いています。今年でまちびらきから60年を迎えましたが、かつては少子高齢化の進行や人口の減少、また住宅や設備の経年による劣化などオールドタウン化が懸念されていました。そうした状況の中、2001年に大阪府をはじめ、地元自治体である豊中市、吹田市、住宅を管理している大阪府住宅供給公社(以下、公社)と私たちUR都市機構(以下、UR)、ニュータウン管理業務を担当する財団法人大阪府タウン管理財団(現大阪府都市整備推進センター)、の6者で構成する「千里ニュータウン再生連絡協議会」が設置されました。そして2007年10月に「千里ニュータウン再生指針」を策定(2018年、「千里ニュータウン再生指針2018」策定)し、現在でも公的賃貸住宅の建替えが進んでいます。
――午前中の視察では、URの再生は屋外空間を生かしたものとなっていると感じたのですが、その点については再生の当初から計画していたことでしょうか。