日本庭園講座 ~智恵と技術を学ぶ~ 第六回 「絵画の技法と日本庭園」
はじめに
日本庭園講座ではこれまで作庭のプロセスに従い<庭園のコンセプト><庭園のプログラムとシステム><庭園デザインの技法> と 段階を踏みながら、庭園が表現して来たものを明らかにしてきた。事例として桂離宮、岡山後楽園を取り上げ、廻遊式日本庭園の「知恵 と技術」を述べたが、この章では日本庭園が他の伝統芸術とどの様な関わりを持ち、影響を受けてきたか考えてみたい。 取り上げるのは「絵画」。日本人の誰でも知っている画僧:雪舟が作庭した「山口・常栄寺」と狩野派の大家:狩野元信による「妙心寺退 蔵院」を取り上げる。ふたつの庭園は様式、デザインが全く異なっているのは、ふたりの画風を見れば当然の事である。ふたりの絵師は 自分の画技を存分に発揮して歴史に残る庭園を作り上げた。ここでは庭園の内容を具体的に明らかにしながら庭園と絵画の関係を読 み解き、さらにその魅力を伝えていきたい。(戸田芳樹)
1. 絵画と日本庭園の関わり
戸田芳樹氏(以下、戸田。敬称略) 日本に おける絵画の始まりは仏画であり、平安時代 半ばになると中国の絵画の技法を用いて日本 の風景や生活などを描いたものが現れ始め た。中国的な主題を描いた絵を「唐絵」日本的 な主題を「大和絵」と呼び各々が独自に発展を 遂げた。
野村勘治氏(以下、野村。敬称略) 中国から もたらされた絵図や文物は巻物で、京都御所 など平安時代の寝殿造りの庭園を室内から見 ると、あたかも絵巻物のような横長のワイド スクリーンとなる。これは外部に接する蔀戸 を上方に開くと上部の視野が限られ、さらに 下部の低い板戸に挟まれ画角が決められ、手 前の白砂の広場が消されて庭園が絵巻物の様 に横長に見えるからである。
蔀戸は室町時代に造られた金閣寺【写真1】 にもそれが見られるからおもしろい。金閣は 3層の造りで各層の建築様式が1層・公家風 (寝殿造り)、2層・武家風(書院造り)、3層・寺 院風(唐様造り)のコンセプトで作られた。1 層部は平安以来の寝殿造りで、蔀戸を上げて 室内から見ると枠取りの中に庭園の主題と主 景が納められている。このワイドスクリーン の見え方は右から亀島、鶴島、九山八海石、 左奥に芦原島があり、右端の亀島から左方へ 島をだんだん遠く配し遠近感を強調し、庭園 に奥行きを与えている。つまり建物の枠取り に入った庭園を右から左にかけて近景から遠 景へと促し、絵巻物の鑑賞形態に従って作り 出した景観である【図1】。
戸田 同じく平安時代の源氏物語絵巻は上 空から建物を見下ろす「吹抜け屋台」という 技法を用いている。これは私達設計者が使う アイソメトリック図法と同じで、空間の状況 を説明するのにとても都合が良い。建物と間 のスペース、つまり坪庭の位置が明快に分か り、庭園のシーンを連続的な構図として理解 できる。また有名な鳥獣戯画も右から左へス トーリーが時間と共に進み、まさに廻遊式庭 園と同じく「時間のランドスケープ」として 空間をとらえた絵図といえる。
野村 鎌倉時代を経て室町時代になると、 憧れの中国から山水画が持たらされた。取り 分け中国芸術のピークといえる北宗の絵画
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